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人格=私性の空虚01

April 09, 2020

意図の概要

今日しばしば自己というものに対して付与されている並外れた特権性を打破したいと思う。-その実現へと向けて私をたきつけているのは、このうえなく確固たるひとつの確信であり、イデオロギー的な計略や間の抜けた知的悪ふざけを行ってみたいという気まぐれではない。私というのがひとつの幻想であって、自惚れと習慣から一般的に承認されているものの、実は形而上学的な基盤もなければ根源的な現実性ももたないのであることを証明したいと思う。その先で、これらの前提から生ずる帰結を文学に適用し、その基盤の上にひとつの美学を打ち立てたい。その美学は十九世紀が私たちに残した心理主義とは対立するものであり、古典作品に肩入れする傾向をもつものでありながら、今日のもっとも伝統破壊的な潮流をも後押しするものである。

針路

私がこれまでに見てとってきたところでは、一般に読み手という立場に置かれた人間が、厳格な弁証論的論述に対して異議をとなえずに承認の意を呈することが多いのは、端的に言って、書き手が提示してくる証明の内容をあえて自分で確認しようとしない怠惰な無能と書き手の誠実さに対する漠然とした信頼感のせいである。しかし、ひとたびその書物が閉ざされ、読んだ内容が四散してしまうと、その人の記憶の中には読んだ内容の全体に関する多かれ少なかれ恣意的な要約だけしか残らない。このような明々白々たる無駄を避けるために、以下の文章では厳格な論理の道筋をたどることは放棄して、例示を積み重ねていくことにする。