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沈黙の部屋

April 16, 2020

谷川俊太郎

四方は白いしつくい壁にとりかこまれている。壁は最近塗られたばかりのように新しいが、実はもう何世紀も前に塗られたのである。ただ、ここに住んだ人々が、何も家具をもちこまなかつたし、時には呼吸すらごくひつそりとくり返すにすぎなかつたので、(もちろん火を焚くことなど、思いもよらなかつた。)白い壁は汚れることも、煤けることもなく、いつまでも新しく見えるのである。

白いしつくい壁の或る一面に、(何故或る一面になどと、曖昧な云い方をするのかというと、ここには窓がないので、方位を決定することができないのだ。)一枚の扉がかかつている。この扉は非常に写実的に描かれた一枚の絵にすぎない。つまりこの扉を開けても、そこには白いしつくい壁があるだけなのだ。そのかわり天井は非常に高い。高いけれどそれは上に行くにしたがつてせばまつていて、丁度鋭い立方錐の内側のようになっている。

その頂上は非常に狭く、おそらくヘアーピンを用いなければ掃除することはできないだろう。天井は壁と同じように白いしつくいで塗られているが、もちろんそこにも埃はおろかしみひとつない。

床は石でできている。地殻に直接つながる花崗岩を平に磨き上げたものである。だがそれは、今や厳密には平とは云えない。何世紀にもわたる沢山の人々の足が、(木靴や、ぞうりや、鋲を打つた靴や、はだしが)床をすり減らしてしまつたのだ。床は真中が最も低くすり減つている。これは人々の多くが、部屋の中心にいることを望んだ証拠であつて、よく見るとそこにはごく僅かではあるが、血痕が付着している。